
歩道橋の上から、喜びも悲しみもみえる
マリさんは歩道橋の上から街を行く人々をよく眺めます。
仕事でストレスが溜まった時、なぜか歩道橋から眼下の人々をみると心がやすらぎました。
サラリーマンも女子高生も自転車に乗ったおばさんも、みんなそれぞれいろんな悩みを抱えて生きているんだろうな。辛いのも苦労してるのも自分だけじゃないし、頑張って生きていかなきゃという気にさせられます。
とくに日が暮れかかった頃に、歩道橋の上で人々の往来を観るのが好きで、履歴書の趣味の欄には、「歩道橋からの人間観察」とでも書きたいくらいです。
仕事中も歩道橋を通ると、よく足が止まるため、同僚から「何してんの、早くいきましょうよ」とせかせられることもたびたびです。
休みの日にゆっくり「歩道橋からの人間観察」を堪能しようと夕暮れ時に一人ぽつねんと立っていると、いろいろな人から声をかけられます。
「まだ、若いんだから」とすれ違いざまに小さくつぶやく、買い物袋を両手にさげた小太りのおばさん。「モデルの仕事をやりませんか」と、そっと肩に手をかけるホストのようなスカウトマンもいます。
さすがに、「自衛隊に入りませんか」と勧誘するおじさんはいないけれど、あやしい宗教団体が背後で、あの子を誘おうかと、声を潜めているのを感じることもあります。
心おだやかに街行く人々を観察していたいのに、うら若いスレンダーな女性が歩道橋の真ん中に物憂げに立っているとなかなかそうもいかないようです。
たまに「どうかされましたか」と心配げに顔を覗き込む年配の警察官もいます。しばらく、マリさんの傍から離れず、時には、無線で仲間の警察官を呼び、歩道橋の下に数人を待機させたりということもあります。
夏場、白柄のワンピースを着ていたりすると大変です。酔っ払いの千鳥足のおじさんが、急にシャキッとなって、何か悪いものでも見たかのように、走り去っていきます。
いちばん面倒なのが小学生の御一行です。少し離れたところから、バチバチと写メを撮ったりします。
ウザったいので、追い払おうと、スマホのライトアプリを顔の下から当てて振り向くと、ひえ~と言いながら、一目散に蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。
これが修学旅行の団体だったらキャアキャアとうるさくて仕方ないだろうなとうんざりします。
そこでかき氷でもイカの炭火焼でも売れば案外商売になるかも知れませんが、まったくこういう連中は、まとめて歩道橋から放り投げるか、あるいは逆さずりにでもしない限り、日本は変わらない、とあらためてマリさんは考えさせられます。
歩道橋にもいろいろあって、マリさんがとくにお気に入りの歩道橋は、都内某所にありますが、そこは夕暮れ時に幽霊が出没すると最近とみに話題になっています。まったく人のことを何だと思っているのか、余計なお世話だ、バカヤローとマリさんはいいたくもなります。
「おかあさん、おとうさんまだ出てこないね」
マリさんがまだ小さかった頃、おかあさんと一緒に歩道橋の上で駅の改札から出て来るおとうさんの出迎えをしていました。
マリさんのおとうさんは、背の高い痩せた人なので、雑踏の中でも割りと見つけるのは苦ではありません。
おとうさんも、マリさんとおかあさんがいつも歩道橋の上で待っているということを知っていて、よく手を振って応えたものです。
歩道橋の上からみる景色はマリさんにとっては特別なものでした。何か、現実の世界とは違う、赤や黄色に色どられたフワフワした楽しい異空間に漂っているようで、とても心が弾みました。
おとうさんが帰宅する頃になると、「ほどうきょう、ほどうきょう」といっては、よくおかあさんをせかしたものです。
この子には、歩道橋さえあれば、遊園地に行こうとせがまれることもないし、案外家計は楽かもしれない、しかし将来歩道橋の上に住みたいとでも言いだしたらどうしようかと、おかあさんも少しばかり余計なことに頭を巡らしたものです。
歩道橋みせてあげるからおじさんと一緒に行こうよと声をかける変態がいないともかぎりません。今日も良い歩道橋が入ったよおじょうちゃんと声をかけられたら、目を輝かせてフラフラとついていくかもしれません。
しかし、おかあさんが心配したほどでもなくて、マリさんは、そこそこ普通の女の子として育ちます。ただ、歩道橋通いは小学校の高学年になっても中々やむことがありません。
そんなマリさんでしたが、小学6年生の時、電気会社に勤めていたエンジニアのおとうさんががんで亡くなります。それからしばらく、マリさんは悲しみに暮れ、歩道橋通いをすることもなくなりました。
そして、マリさんが高校3年生になった時、また不幸が訪れます。仕事の過労から病気になったおかあさんが亡くなったのです。マリさんには兄弟がいません。とうとう天涯孤独の身になってしまいました。
いつしか歩道橋通いを止めていたマリさんでしたが、それからまた頻繁に歩道橋通いをするようになりました。ただ、その時の歩道橋通いは少し暗澹たるものでした。
生きていくことがつらくて、通りすぎる車の往来を見ながら、そこから飛び降りたらいっそ楽になるかもしれないと思うようになっていました。
子供の頃、楽しくて仕方なかった歩道橋通いでしたが、いつしか歩道橋からみる目の前の世界が、灰色にくすんだ荒涼とした風景に映るようになっていました。その先におとうさんやおかあさんの姿が浮かんで見えます。
そんなある日、いつものように歩道橋の上で、ぼんやりと駅の改札口を眺めていた時のことでした。改札口の雑踏の流れの中に、背の高い痩せたおとうさんによく似た男性を目にしました。
マリさんの心が踊りました。
その男性の姿をずっと目で追いかけ、どうしよう、声をかけようかしらとも思いました。男性は人混みに紛れ見分けがつかなくなってしまいましたが、マリさんの心のふるえは止まりません。
またあの人に会えるかもしれない。
それからまたマリさんの子供の頃のように夢のある歩道橋通いが始まりました。歩道橋狂いといってもいいほど度を越したものです。
あの日見かけた男性はそれから二度と見ることはなかったけれど、それでもマリさんの心はとても弾んでいました。いつか子供の頃にみたような、極彩色の世界が歩道橋の上に広がっていました。
いつかまた、どこかできっと出会える・・・。
マリさんは写メでパチパチと写真を撮る小学生を蹴散らしながら、その日も歩道橋の上に立っていました。
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この作品はフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
仕事でストレスが溜まった時、なぜか歩道橋から眼下の人々をみると心がやすらぎました。
サラリーマンも女子高生も自転車に乗ったおばさんも、みんなそれぞれいろんな悩みを抱えて生きているんだろうな。辛いのも苦労してるのも自分だけじゃないし、頑張って生きていかなきゃという気にさせられます。
とくに日が暮れかかった頃に、歩道橋の上で人々の往来を観るのが好きで、履歴書の趣味の欄には、「歩道橋からの人間観察」とでも書きたいくらいです。
仕事中も歩道橋を通ると、よく足が止まるため、同僚から「何してんの、早くいきましょうよ」とせかせられることもたびたびです。
休みの日にゆっくり「歩道橋からの人間観察」を堪能しようと夕暮れ時に一人ぽつねんと立っていると、いろいろな人から声をかけられます。
「まだ、若いんだから」とすれ違いざまに小さくつぶやく、買い物袋を両手にさげた小太りのおばさん。「モデルの仕事をやりませんか」と、そっと肩に手をかけるホストのようなスカウトマンもいます。
さすがに、「自衛隊に入りませんか」と勧誘するおじさんはいないけれど、あやしい宗教団体が背後で、あの子を誘おうかと、声を潜めているのを感じることもあります。
心おだやかに街行く人々を観察していたいのに、うら若いスレンダーな女性が歩道橋の真ん中に物憂げに立っているとなかなかそうもいかないようです。
たまに「どうかされましたか」と心配げに顔を覗き込む年配の警察官もいます。しばらく、マリさんの傍から離れず、時には、無線で仲間の警察官を呼び、歩道橋の下に数人を待機させたりということもあります。

いちばん面倒なのが小学生の御一行です。少し離れたところから、バチバチと写メを撮ったりします。
ウザったいので、追い払おうと、スマホのライトアプリを顔の下から当てて振り向くと、ひえ~と言いながら、一目散に蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。
これが修学旅行の団体だったらキャアキャアとうるさくて仕方ないだろうなとうんざりします。
そこでかき氷でもイカの炭火焼でも売れば案外商売になるかも知れませんが、まったくこういう連中は、まとめて歩道橋から放り投げるか、あるいは逆さずりにでもしない限り、日本は変わらない、とあらためてマリさんは考えさせられます。
歩道橋にもいろいろあって、マリさんがとくにお気に入りの歩道橋は、都内某所にありますが、そこは夕暮れ時に幽霊が出没すると最近とみに話題になっています。まったく人のことを何だと思っているのか、余計なお世話だ、バカヤローとマリさんはいいたくもなります。
「おかあさん、おとうさんまだ出てこないね」
マリさんがまだ小さかった頃、おかあさんと一緒に歩道橋の上で駅の改札から出て来るおとうさんの出迎えをしていました。
マリさんのおとうさんは、背の高い痩せた人なので、雑踏の中でも割りと見つけるのは苦ではありません。
おとうさんも、マリさんとおかあさんがいつも歩道橋の上で待っているということを知っていて、よく手を振って応えたものです。
歩道橋の上からみる景色はマリさんにとっては特別なものでした。何か、現実の世界とは違う、赤や黄色に色どられたフワフワした楽しい異空間に漂っているようで、とても心が弾みました。
おとうさんが帰宅する頃になると、「ほどうきょう、ほどうきょう」といっては、よくおかあさんをせかしたものです。
この子には、歩道橋さえあれば、遊園地に行こうとせがまれることもないし、案外家計は楽かもしれない、しかし将来歩道橋の上に住みたいとでも言いだしたらどうしようかと、おかあさんも少しばかり余計なことに頭を巡らしたものです。
歩道橋みせてあげるからおじさんと一緒に行こうよと声をかける変態がいないともかぎりません。今日も良い歩道橋が入ったよおじょうちゃんと声をかけられたら、目を輝かせてフラフラとついていくかもしれません。
しかし、おかあさんが心配したほどでもなくて、マリさんは、そこそこ普通の女の子として育ちます。ただ、歩道橋通いは小学校の高学年になっても中々やむことがありません。
そんなマリさんでしたが、小学6年生の時、電気会社に勤めていたエンジニアのおとうさんががんで亡くなります。それからしばらく、マリさんは悲しみに暮れ、歩道橋通いをすることもなくなりました。
そして、マリさんが高校3年生になった時、また不幸が訪れます。仕事の過労から病気になったおかあさんが亡くなったのです。マリさんには兄弟がいません。とうとう天涯孤独の身になってしまいました。
いつしか歩道橋通いを止めていたマリさんでしたが、それからまた頻繁に歩道橋通いをするようになりました。ただ、その時の歩道橋通いは少し暗澹たるものでした。
生きていくことがつらくて、通りすぎる車の往来を見ながら、そこから飛び降りたらいっそ楽になるかもしれないと思うようになっていました。
子供の頃、楽しくて仕方なかった歩道橋通いでしたが、いつしか歩道橋からみる目の前の世界が、灰色にくすんだ荒涼とした風景に映るようになっていました。その先におとうさんやおかあさんの姿が浮かんで見えます。
そんなある日、いつものように歩道橋の上で、ぼんやりと駅の改札口を眺めていた時のことでした。改札口の雑踏の流れの中に、背の高い痩せたおとうさんによく似た男性を目にしました。
マリさんの心が踊りました。
その男性の姿をずっと目で追いかけ、どうしよう、声をかけようかしらとも思いました。男性は人混みに紛れ見分けがつかなくなってしまいましたが、マリさんの心のふるえは止まりません。
またあの人に会えるかもしれない。
それからまたマリさんの子供の頃のように夢のある歩道橋通いが始まりました。歩道橋狂いといってもいいほど度を越したものです。
あの日見かけた男性はそれから二度と見ることはなかったけれど、それでもマリさんの心はとても弾んでいました。いつか子供の頃にみたような、極彩色の世界が歩道橋の上に広がっていました。
いつかまた、どこかできっと出会える・・・。
マリさんは写メでパチパチと写真を撮る小学生を蹴散らしながら、その日も歩道橋の上に立っていました。
この作品はフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
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